数字とわたし
シナプスイノベーションは、4月から3月までを1年と数える会社だ。
というわけで、まだまだ寒い日が続くけれど、少しずつ町の草花やスーパーの軒先が春の色に変わりつつもあるいまごろは、まさに1年の大詰めの季節。
ここをみんなで走り抜けたあと、春本番が来たら、この1年でシナプスイノベーションがどれだけの結果を残せたかを明らかにする、「決算」がある。
決算では、1年間の会社の成績を数字で表す「計算書類」が作られる。
私たちが去年どれだけの結果を出せたのか、「実績」が数字になってあらわれる。
もちろん会社では、1年経ってはじめて実績を確認するわけではなくて、月ごと、あるいは週ごとに、どれくらいの実績ができているかを確認している。
月ごと、週ごとの実績がいいのかわるいのかを判断するには、基準となる別の数字が必要だ。これが「予算」という数字。
いつの時点でどのくらいの実績ができているべきか、あらかじめ立てておく目標だ。
予算の数字のうしろには、たとえば社員が何人いるか、お客さまになってくれる方がどのくらい見込めるか、ひとつの商品の値段はいくらか、正しい予算の根拠になる数字がたくさんある。
実績の数字のうしろにも、わたしたちの前を日々行きかう、見積書、注文書、請求書、はたまた作業日報、これも全部数字が書かれている。
会社は人の活動で作られるものだ。
そして、人の活動は数字によって表され、残される。
仕事も生活も社会も、みんな数字でできている。
ところでわたしは子どものころから数字と仲がわるい。
なぜかというと、わたしは言葉と仲がいいからだ。
やっと自分の足で歩けるかどうかくらいのときから、言葉はわたしに声をかけ、わたしの友だちでいてくれた。
聞くこと、話すこと、読むこと、書くことが、わたしの毎日を豊かにしてくれた。
なにより本がなければ、わたしの人生はまったく違うものだっただろう。
そんな親しみやすいことばと比べると、数字ははじめて出会ったときからつんとしていた。
黙ってそこにいて、わたしのことが知りたいならそっちからアプローチしてくださいよと、ひたすらすげない態度だった。
そんな感じの悪いやつと付き合わなくても、わたしはさいしょから仲良しの言葉と遊ぶのにいそがしく、人間と触れ合うのにもいそがしい。
そっちがその気なら結構と、こっちもつっけんどんにしてきた。
ながいことそれでうまくやってきたけれど、仕事をしていると毎日目の前を数字が通り過ぎていく。
経理とか営業とか、数字と会話ができる人たちはバイリンガルだと思っているけれど、とはいえ一生バイリンガルの同僚に頼るというわけにもいかない。
しかたがないので、ついに数字の前で膝を折った。
計算書類の数字ひとつひとつ、それぞれが何を集約したものなのか。
どことどこがつながっているのか。
隣の人の仕事はどの数字に表れているのか。
観念して本で学び(言葉とは友だちになっておいてよかった)、こちらが知識をもって話しかけると、数字はちょっとめんどくさそうに返事をしてくれるようになった。
最初はそれでもそっけなかった。でも何とか、数字の気持ちをつかむように努めた。
すると、こっちがコツをおさえたからか、数字のやつも言葉数が増えてきた。
そのうちついに、向こうからわたしに話しかけてくるようになった。
いまでもまだ、数字と話す仕事は緊張する。
緊張するけれどまあ、ゆっくり挑戦するかという気持ちにはなれる。
第一印象が悪かったからって10年以上冷たくしたこと、数字に謝っておきたい。
数字がわたしに冷たかったのは、わたしが数字に冷たかったことの裏返しだろう。
誰だって感じの悪い相手には感じの悪い態度をとっちゃうよね。
こちらとしては「あなたのせい」だったけど、わたしが先に変わることが、歩み寄りの第一歩でした。
あなたと、これから先も親友になれる自信はないけれど、とりあえず仕事仲間として、ぼちぼち付き合っていきたい。どうぞよろしく。
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私たちは、製造業のためのソフトウェア開発会社、シナプスイノベーションです。
基幹システムの導入から、生産・物流等の見える化・自動化までワンストップで提案します。
経営層から現場層まで情報を一気通貫につなげられることが強みです。
まふゆさん
“まふゆさん”の中の人。
大阪オフィスの管理部門でこつこつ働きつつ、
ときどき社内ライター兼校閲ガールを務める。
本とお酒とNHK Eテレ「きょうの料理」が好き。