会社のなかで自分ができること
高校3年の春、「先輩からのメッセージ」を書いた。
いままでありがとう! 高校生活楽しかったよ!
ではなく、わたしはこうやって大学に合格しました、参考にしてね! というやつだ。
べつに書きたかったわけでもないのだけれど、先生によろしくと言われて、はい、と返した。
あのころわたしは、世の中は、がむしゃらに走ることだけをよしとしている、とおもっていた。
志望校合格のためにまず1日○時間勉強、みたいな話はめずらしくなくて、じっさい、どれだけ量をこなせたかは、どれだけ「できた」かをはかる、たいせつなポイントとみなされていたのだとおもう。
ただあいにくとわたしは、ねむたかった。
大人になったいまでも、1日8時間はねむらないともたないのだ。
いまでも、1時間がーっと集中して仕事、ひといき、また1時間がーっと、かける7セットで本日閉店、のたちであって、朝から晩までひたすら勉強なんて、当時からまったくできなかったのだ。
それでも試験には受かりたかったので、とりあえず、テストのしくみをひもといた。
国語の記述問題がけっこうくせっぽいな、練習いるな、とか。
作った人がイメージしただろう、問題ごとの時間の配分とか。
この問題は部分点を1、2点とらせるためのもので、完ぺきにとけなくてもあわてなくていいなとか。
そうしてわかったことを、自分のとくいふとくいと照らす。
とくいなところは短い時間で、ミスを減らすように。
ふとくいなところはそれよりはかけて、合格ラインにとどくように。
120点の結果が出るまで走れないなら、80点を必ず出せるようにしようとおもった。
だいたいそんなことを書いた「先輩からのメッセージ」を職員室に持っていったとき、緊張した。
あのころ、いつでもひたむきにがんばれるクラスメイトに、劣等感があった。
どこまでも走れるというのはとても立派なことで、それができないのはわたしにとって、なんとなくみっともないことだった。
でも、みっともないと落ち込んでもしかたがなかった。
ほしいのはこつこつ勉強することではなく試験に合格することで、試験に合格したいのは、大学というところにいって、すきなことをたくさん学んで、それまで暮らした町ではできなかった経験をしたいからだった。
それがクリアできるなら、ルールの中でひととちがうやり方をするからといって、ひとと同じやり方ができないからといって、恥ずかしがらなくてもいい。がんばりかたなんてそれぞれでいい。
と、うったえる方の自分に従って、書いて、出した。
いるかもしれない自分みたいな後輩に、まわりとおなじようにできなくてもいいよ、自分のやり方で、自分にとってたいせつなことができたらいいんだよと伝えたい、18歳なりのまじめさだった。
*
あれからだいぶん経って、わたしは仕事をしている。
仕事をしているのは、まずいちばんに、自分がしあわせに生きていきたいから。
わたしにとってのしあわせは、知ること、話すこと、笑うこと、そのために働くことが必要だとおもうので、働いている。
働くうえで、わたしは会社にいて、会社の中のチームにいて、そこで役割をもらっている。
まいにちのタスクはわたしの役割をクリアするためのもので、わたしの役割はチームが会社の中の役割をクリアするためのもの。
その先には会社の役割があって、会社がある社会にも役割があるんだろう。
まずはわたしのしあわせ、それからとなりではたらく仲間のしあわせ、そしてそれをみんな含む世界のしあわせ、どんなふうに重ねて作っていくのか。
ゴールを、歩き方を、いつでも自分で見つけつづけるのも、ある意味苦しいことだ。
あのころわたしが思いきり走れなかったように、自分で決めるということがどうにも苦手で、苦しい人もいるだろう。
高校3年の春は、そのさきわたしにたくさんの学びをくれて、いまでは、「よしとされる」ものすら、そのとき、その場で、ひとが何を選ぶかによって変わることを知っている。
だからこそ、自分がいまほんとうにほしいものは何なのか、そのためにできることはなにか、考えて、ゆっくりゆっくり歩きたい。
・・・
ことし、近畿圏はあまりにはやい梅雨入りをむかえました。
雨の季節になると、手仕事ということばを思い出します。
梅は挑戦したことがありませんが、新生姜の甘酢づけと山椒じょうゆをちくちくつくっています。
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まふゆさん
“まふゆさん”の中の人。
大阪オフィスの管理部門でこつこつ働きつつ、
ときどき社内ライター兼校閲ガールを務める。
本とお酒とNHK Eテレ「きょうの料理」が好き。